2010/12/06

voloce collection

私的コレクションホールに眠る迷車の数々。
ボロいし、脈絡無いな〜 外車シリーズは外箱も現存するけど、クルマがギタギタ。
今となっては価値なんて無いけれど、クルマは遊んでこそクルマだ!?
甥っ子が何台か持って行ったそうな。若手を育てなきゃね。


2010/11/18

del contessa

ご無沙汰してます。バタバタしておりまして触っている暇無し。
お茶濁しにスキャン画像を。

国産フォーミュラの先駆者、デル・レーシングの市販フォーミュラ、
デル・コンテッサ。
少年漫画誌の表紙と表2見開き(表紙をめくった最初の見開き)に国産フォーミュラの写真が載る時代。
パブ記事!? だとしても凄いな。昭和40年(1965年)、いまから45年も前のことです。

























































左ページ上エンジンの写真、思いっきり裏焼き(笑)

(出典)
講談社
週刊少年マガジン
昭和40年8月8日発行 第七巻 第三十三号
1965

2010/10/16

新兵器

ヤフオクってほんと魔窟。
長いこと気に掛けていたとある車種のカテゴリー。個人間では大体同じような金額で
落札され、中古業者の出品物とてほぼ横並び。例え安く出ていても実際に問い合わせてみると
まあ色んなものが積み上がるので乗り出し価格はそう変わらない。

で、こいつは別のカテゴリーに出ていた。普段まったくチェックしていなかったのに
その日は何故か吸い込まれるように。
即決は設定されていなかったが、連絡を入れて即現物を見に一路北関東の都市へ。
どうやら現車確認をしたのは一番だったらしく、結果それが幸いして私が譲り受けることに。
距離はほぼ経年通り、内外装もそれなりで、一番の決め手は(日本製のくせに)
「ほぼ必ず逝く」と言われているATミッションがO/H済みということ。
それで相場より安いのなら迷っている暇は無し。

名の通ったメーカーのれっきとした正規輸入車なれど、価格設定(当時300万オーバー)が
災いしたのか、車格に対して全高がありすぎ(4.2mという全長に対して1.84m、タワーパークに
全く入らない)なのか、日本に輸入された絶対数が少ない。
現地でもわずか4、5年で生産が打ち切られた謎な車なのです。

後席は全て外せるし開口部高は1.1m、室内高は1.25m程度あるのでフルサイズでも
ご覧の通り。フロントフォークを縮め、ハンドルを倒せば簡単に。
詰め込めばもう一台セローぐらいなら入るかな?

ところでこういったMPV系のクルマ、リアハッチ開口部の幅や高さ、
室内高や室内長などの情報が意外とwebで見つからない。
荷室を荷室として使う要求が少ないのかな。
新車紹介のクルマ総合webサイトなんて所詮通り一遍、広報資料ベースで書いているのが
丸わかり。誰一人として荷室を実測しようとしていない。荷室はオマケですか?
結局確たる数値は偶然拾ったドイツ語で書かれた本国カタログのpdfから。
比較していたFIAT Multiplaなんてとうとう見つけることができなかった。


エンジンはSOHC1.9、車重は1.5t近くあるが必要にして充分。
荷室は最大3000リットル(VDA)、一体何を積めと?
特筆すべきは4.2メートルの全長に対してホイールベースが2.9m!もあること。
似たような形でWBが比較的長いといわれているホンダ フリード(全長4.2m)の2.74mより長い。
大柄なサルーン、シトロエン C6(全長4.9m)と同じ、と言われるとどうだろう。
道理で荷物が沢山積めるわけだし、高速道路で不快なピッチングも無く移動がラク。

これで日本車と同じようにタフなら良いのだけれど。
21世紀のクルマなので、壊れない…ことを祈ります。



2010/09/21

砧公園

いつもの公園をブラブラ。
逞しい木の根の造形に眼を奪われ、写真を撮っているとお歳を召した方に声を掛けられた。
「この木はなあ、○○さんの家の木だった」
「あの木の辺りは○○さん、向こうは○○さん」
「だから旧い木だと100年ぐらいは経つのかねえ」
「公園の中に柿の木が散らばっているでしょ、そこには大体家があったんだよ、庭の柿の木」

皇紀2600年(1940年・昭和15年)記念の緑地公園事業以前、
そこかしこにここいら辺りには数軒の家があり、鬱蒼とした竹林や田畑、
小川(谷戸川)が流れとてものどかな景色が拡がっていたそうだ。
公園計画は昭和15年より以前に、純粋に緑地として立案されていたが
戦争の影が色濃くなり急遽、防衛のための機能も担うよう変更され、
当該地域の家は順次交換で近傍の土地へと移った。

緑地は防空の為の部隊や訓練所、大砲も置かれ、訓練実戦問わずもちろん実弾の発射も茶飯事。
末期、大空襲では焼夷弾が雨あられと降り、近隣の現在NHK技研があるあたりには
B29が撃墜され落ちた、とも。P51が高高度から急降下で飛来、爆弾を落とし
さらに機銃掃射を行ったのち、翼をヒラヒラさせ去って行く姿を幾度も眼にした、そうだ。

戦中戦後、食糧難のさなか田畑は作物を産み、野ウサギを捕まえ
谷戸川や野川ではウナギやドジョウを獲ったそうで、少しは恵まれていたかな、とのこと。
戦後は放牧も行われていたこと、ある時期にはパブリックのゴルフ場(9H) だったこと
砧の東宝撮影所にGHQが見学でやってきて、ジープに置いてあるタバコをくすねた思い出。
もうこんな話を知っているのも近所では4-5人しかいない、
とうとう戦争で帰ってこなかった者も沢山いる…

木の向こうの緑の広場では家族・恋人・友人たちのグループが
思い思いの平穏な休日を過ごしている風景が変わらず拡がっている。


部屋に帰ってからふと気づいたのだが、敬老の日だった。
何かの巡り合わせなのだろうか。






















2010/09/12

magic hour

マジックアワーはボーナスタイム。
誰でも名カメラマン(笑)

これは去年の秋頃かな。
だいぶ朝夕は過ごしやすくなってきました。
秋はもうすぐ。

*memo*
EF 24-105mm F4 L IS


2010/09/08

A.L.F.A.100周年記念イベント in ソレイユの丘

フタを開けてみれば順調に申し込みが増え、早くに400台ものエントリーがありましたので
拙ブログでは告知はいたしませんでしたが、当日は一般駐車場の方にも停められるので、
エントリーが間に合わなかった方も是非。詳しくはこちら

さて本国のイベントは終わってしまいましたが 、alfa romeo official artでは
引き続き100周年記念アートコレクションが購入できます。
つらつら眺めているだけでも楽しい。まさに「画になるクルマ」。
自分でも作ってみました。昔作った素材の使い回しですが。

2010/09/07

Prince Chichibu & alfa romeo RL

とある頼まれ事。まあ大した結果は無いのでそのつもりで(笑)

秩父宮ラグビー場の宮号で知られる、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう)が
戦前、アルファ・ロメオを所有なさっていたのでは、という話を聞きます。車種はRLとも。
安直な方法ですが、webでいろいろ検索しましたがそれらしい記述は見つかりません。
'25-27年のTurismoを入手と聞きましたが、親王が欧州をご訪問なさったのは
1937年であり、現地で入手されたとしても時期が異なります。
もしや欧州歴訪の折に、'25-27年製の中古を手に入れられた?
1928年に松平節子(成婚にあたり勢津子)さまとご結婚された、とありますので
もし既に日本にあったのだとすれば、お二人は新車でドライブを楽しまれたのでしょうか。
そうだとしたら多少の記録が日本にもあるかとは思うのですが…

さて第二の安直な手段。
Alfa Romeo Automobilismo Storico Centro DocumentazioneのMarcoさんに聞いてみました。
個人情報だけれど、宮家という半ば公人だから何か情報があったら教えてもらえたらいいなあ、
と期待していましたが、結果は…

the folders related this model were destroyed in 1944, during a second world war bombing on Milan.

そう、先の戦争で、ミラノにおいての書類は焼失してしまったのです。
アルファ・ロメオ オフィシャルとしての記録は残念ながら存在しませんでした。

今のところ私はこれ以上検証している時間が無いし、さして興味も無いのでどなたか
続きをいかが(笑) 続きというかスタートにも立っていないかもしれませんが、
もしかしたら面白いストーリーが待っているかもしれませんよ。
photo:alfa romeo

2010/09/02

スズメバチ

ボロいのはクルマだけではないのです。
買ったのは95年ぐらいだったかなあ。
ずっと50のままだったけれど、遅いのと免許が危うくなるので
ポリーニの85ccだったかな? 腰上替えて、ナンバーも登録し直した。
(上記URLを開くときは注意してください。さすが本場伊太利亜のスクーター小僧
垂涎のメーカーだけあります)

一時期往復70kmぐらいの通勤にも使っていたけれど、
たった1回だけだったな、あきらめて途中で放置したのは。
振動によるインマニ割れ、スモールベスパではわりと良くあるトラブルです。
細かいのは挙げればキリがないので割愛。

さていつから放置したのか確かではないけれど、
自賠責のステッカーが平成15年なので7年ぐらいか。
この写真は2006年。既に大分キてます。ああなんとかしなくちゃ。





















で、重い腰をあげてまずは固着しかかっていたフロントを整備。
リンクをばらしてグリスアップ、ブレーキワイヤーの交換と給脂、
段減りしたブレーキドラムの交換、そしてヌケヌケのサスペンションを交換。
残念ながらbituboじゃありません。 しかし安っぽい色のサスペンションだな〜。


































































シューはまだ厚みがあったので、気持ち効くかもしれない、溝切り加工を。
フロントブレーキ、ほんと効かないからね。




















実はこの整備を行ったのが08年3月。ああ思い出した、この時試しにキックしたらエンジンかかって、
おおタフな奴だ、なんて感動したっけ。

続いてリアもやるぞ…と思って2年半経ちました。ホント月日が流れるのは速いものです。
リアはこれまたベスパの持病、オイルシールが傷むことによってミッションオイルが
ドラムブレーキ内に入って潤滑するという、クリティカルなトラブルです。
センターのナットが固く締まっているので、インパクトレンチ必須のため
シール交換をしていない例が多く、いちいちドラムの掃除でだましだまし乗ってしまう。
また、ボアアップで排圧上がるとより傷みが早いようです。
で、こんなになっていました。わはは。



























































バックプレート裏のオイルシールと薄いガスケット1枚で気密を保ちます。
ガツンとロックさせるような荒いブレーキングでも傷みが早くなります。

<私信>
コータロー君、理解できた?

さてシールを交換したらキレイに掃除をして、ついでにリアブレーキワイヤーも
交換しておきます。






















合理的なユニットスイングのエンジン周り、スティールのモノコックボディ、
そして各所で使用されるアルミキャストのパーツなど、
いつ見てもどれをとってもいちいち格好いいな。
まあコンセプトが違うとは言え、現代のプラスチッキーな物ではとてもじゃないけど
所有欲は湧かないし第一紫外線やら何やらでバキバキになってしまう。
折角機械部分の工作精度が上がっているのになんと勿体ないことか。

先に進みましょう。前後輪とも山が無いし硬化しているので当然交換。チューブもセットで。
純正採用だったがもう入手不可なMICHELIN S83と同じパターンのKENDA。
<追記>
MICHELIN S83、まだ買えるようです。
























































 <私信>
コンちゃん、気休めに私はリムテープがわりにガムテを巻いてます。
中でサビが育っても少しはマシだし、ブレーキング時のズレから首が傷むのを
少しは防ぐ…かもしれないw

 つづくと思われます。

2010/08/31

名古屋行 番外編

トヨタ博物館・2階の、あまりアピールしていない入り口を覗くと…

1929 ウーダン種の鶏




































1928 雄鶏の頭





















1928 勝利の女神
日本では鍋島侯爵のイスパノ・スイーザに付けられていた。






















 1928 孔雀の頭




































1928 大トンボ





































1928 チャボ





































あまり知られていないのか自分が無知だったのか、アールヌーボー〜デコ期のガラス工芸品で有名な
ルネ・ラリックが量産したラジエターマスコットを、全種類常設展示しているのは(おそらく)
世界中でここだけだそうです。29種類32点、立像1点の堂々たるコレクション。
バブル期にはコンプリートコレクションで億の値段が付いたとかなんとか…
まあそんな下世話なことは置いといて、作品はどれもすばらしい。
アールデコ好きな自分としては溜息しか出ません。
もう一度これを見に行きたい、ぐらいの勢いです。

ラジエターキャップが露出していた時代だけに存在し得たカーマスコット。
ただでさえ自動車が高嶺の花だった時代に、さらに優雅さを競うように
こんな洒落たものを。本物の贅沢を垣間見ました。



名古屋行part2

いやしかし時間が過ぎるのが速い、速い。
さて名古屋行第2回、トヨタ博物館の続き。
前回紹介したのは2階、1800年代末から1930年代までの欧米車たち。
3階へと上がると1930年代からの日本車たちへ。


1935 筑波号
ノックダウンではない、初の純国産FF車の流れを汲む筑波号。
詳しいストーリーはこちらで。





















1955 フライングフェザー
未だ一般的では無かった自動車をあまたの国民のために。
調達可能なコンポーネントでやりくりしたミニマルカー。





















1957 スズライト SL型
鈴木初の自動車であるとともに、メーカー規模での本格的な軽自動車の
先駆けでもある。





















1961 マツダ R360クーペ KRBB型
サイドとリアはアクリルウィンドーだそうで、アルミやマグを用いたエンジン
(RR・縦置きVツインOHV)と相まって、軽量化オタクのマツダはここからか!?





































1961 日野コンテッサ PC10型
長らくルノー4CVのノックダウン生産を行っていた日野がその技術を
用いていよいよ独自のクルマ造りを。





















1966 ダットサンサニー B10型
初代のサニー。2ドアセダン。何故ニッサンはサニーを止めてしまったんだろう。
ああサニートラックが欲しい。





















1968 トヨタ2000GT MF10型
だんだんキャプションが小学生になってきました。
小学生で思い出しました、通学途中の板金屋に2000GTが入っていたのを
強烈に覚えています。お尻しか見えなくて、勝手に中入ろうとしたら
怒られました。ですので今回じっくり見られてラッキー。






















1970 トヨタ7
〆はこいつで。5リッター+ツインターボ、グループ7の化け物。ただし実戦歴は無し。
たらればだが日本グランプリが中止にならなければ、さらに川合が事故死せず
Can-Amに討って出ていたら…






















実際にはもっと多くのクルマが並べられており、さらに新館のほうでも当時の文化世相と
からめたクルマの展示があり、じっくりと見て廻ったら一日たっぷりという感じ。
加えて、自動車関連の書籍を集めたライブラリーもあり、こちらもかなり楽しめます。
自動車関連の旧い洋書なんて普段全く眼にしないので新鮮でした。

名古屋に行かずとも、東京でこんなイベントがある。
そういえばお台場にもトヨタの施設あるじゃん!! 行ったこと無いけど…

2010/08/28

宇宙船

たまに近所に舞い降りる
乗り逃げしたい


2010/08/06

名古屋行part1

先週の日曜日、何故か拉致されて名古屋行。
よくよく考えてみると、いままで名古屋に降り立ったことが無かったような気が。
人生初名古屋!?


東名高速で真っ赤な宇宙船を抜き去り





















まずは名古屋名物・モーニングで腹ごしらえ。




































本日の主目的地、鈴商へ。
スパッセ-Vは着々と造られています。色々と許認可が大変だそうだ。






















ちなみにLOLA T-70 Ex.タキ・レーシングは既に売却済み(国内)でした…
T-280も(こちらは海外へ)…
それでもDFVベースのケン松浦チューン5バルブ・ヤマハOX77を積んだ
(現車のエンジンは5バルブかどうかよく見なかった)フットワーク・マーチ・ヤマハ
F3000(亜久里車)やブラバムBT-15 F3、abarth 1000TCR、YAMAHAのTD-3? かな、
まあ珠玉のコレクションを楽しめました。今は忙しすぎてこれらを構ってやれないらしく、
ホコリを被っていましたがいつかまた走らせてください!

さてお次はアウトガレリア・ルーチェへ。Ferrari SP1が置いてある…かと思いきや
残念ながら当日は不在でした。

ちょうどお昼になったので徳さんが昔からの馴染みのお店でお約束のミソカツを。





















お腹が膨れたら午後はトヨタ博物館へ。
では適当に何台かピックアップ。

1898 ド・ディオン・ブートン 1 3/4HP
ド・ディオン・アクスルでおなじみド・ディオンの3輪車。
ガソリンエンジン。




































1908 イソッタ・フラスキーニ tipo I
コパ・フローリオなどでも活躍したクルマ。
Bore*Stroke=145.5*120mm 7970cc 85hp max1800rpm
inline-4,T-head(side valve)





















1913 プジョー ベベ
あのエットーレ・ブガッティ設計、小型2座の大衆車。
EBなれど大量生産のためなのかごく普通。 





















1926 ブガッティ T35B
直列8気筒SOHC2300cc スーパーチャージド。





















1930 アルファ・ロメオ 6C1750 グラン・スポルト
直列6気筒DOHC1750cc こちらもスーパーチャージャー付。





















1934 デソート エアフロウ シリーズSE
その名の通り流線型を意識した外装。





















1936 ランチア アストゥーラ tipo233C
ボディ架装はカロッツェリア・ピニンファリーナ。
流麗なストリームラインとアールデコのエッセンスが垣間見える。





















1936 FIAT500 “トッポリーノ”
元祖500、ハツカネズミ。





















1938 キャデラック シリーズ60スペシャル
同様にストリーム・ライン大流行の頃。





















もう少しあるので続きはpart2へ。



2010/07/22

Amigos : Final

18th of July
てんやわんやでしたが無事(?)、idlers games 夏の12時間+9分耐久
スターティンググリッドに着くことができました。
自分的には24時間耐久の前半がようやく終わったようなものです…
(デカールもバッチリ!)





















レースの流れはコンちゃんのブログにて(笑)。
大まかな作戦としては1スティント1人9周程度、2スティントで給油というルーティン。
細切れでピットストップタイムが長くなってしまい不利ですが、
ドライバーのバラバラな技量や暑さからくる集中力の欠如、
なによりクルマの調子を随時確認するうえで1スティントを短くし、敢えてカメ作戦としました。
まあ早い時期にミッションが不調に陥り、勝負を賭けることが難しくなったのが大きいのだが。

12人ドライバーがいるとはいえ、お互いで給油やクルマの点検、サインボードの掲出、
走行時間の管理、着座のアシストなどスタートしてからも色々とやらなくてはならないことが多々あり、
写真を撮る気力も起きず 、夕方まで一枚もありません。
16時過ぎ、赤旗で中断している頃からようやく撮り始めました。

中断後のドライバーはナニワの暴れん坊、オカちん





















おとなりのテント、ALPHA PLUSのBX。アイスクリーム、ありがとうございました。





















同じくALPHA PLUSの2CV。意外に凛々しい顔つき。





















お忙しい中、Overtakersが我々のためにカッコイイTシャツを作ってくれました。
ありがとうございます。





















みんなだいぶ疲労の影が濃くなってきています。17:15PM、ゴールまであと3時間弱。




















  順調にルーティンをこなし、バトンを次の仲間に渡す。切らさないよう大事に、大事に。





















友人達が走らせているランチア・ベータ。順調だったのかな?





















すっかり日も傾き、LIGHT ONの指示。長時間耐久ならでは。




































アミーゴ・レーシング順調に周回。ヨダさんの勇姿!



















一瞬だけw


給油作業もつつがなくこなします。





















細かいトラブルはありましたが、幸いなことに致命的なものは発生しませんでした。
毎ピットイン時に、コンちゃん、松平さんを中心にケアを重ねたたまもの!?






















19:30PM 群青から漆黒への狭間




































20:00PM ラスト9分。最終走者キイちゃんを見守るチームメイト。





















そのまま無事チェッカーを受け、我がピットへ帰還。12時間+9分を完走。



















































































良い笑顔! 
ちなみにビールじゃないですよ。おとなりのALPHA PLUSのスパイ、コータロー君の暗躍で
キリンビール様からノンアルコールビール、「キリンフリー」を10ケースもいただきました!






















ホント色々な障害がありましたが、アミーゴ・レーシングのメンバー、
そして影ながらいろいろ力添えしてくださった方々の協力で
初参戦ながら無事、完走という結果を残すことができました。
ありがとうございました!